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ドラマいろいろ。

 
『愛の流刑地』
 ~テレビドラマ版~


どーかな?
ここでの、この表現。
これでも抑え気味なんですけど。
もっともっと本音を並べたい。
知ってる限りの言葉で。
だけど、
ここでは限界があるしね。
年齢での立ち入り制限とかできないし~・・・。

嵐くんたち、かわいい~~♪
って言ってるのは、
自分の、陽の当たってる部分です。

こんなこと書いてたら
友だち失くすな・・・。

でもこれからきっと、
もっと増えるな、こんなの。

場所、変えなきゃ・・・か?(笑)





  

高岡早紀さんがかわいい。
女性らしいのひと言に尽きる。
イヤミじゃなくって、ホントに。
私も惚れるもん。
彼女にしたい。
あーいう風に生まれたかったな・・・。

でもさ、男性とお出かけするとき、
白いコートはあかんやろ。
あ、計算ですよね・・・。



映画は見てない。
だいたいのあらすじしか知らない。
テーマは究極の愛ですか?
それとも、究極の快楽ですか・・・?


裁判でのボイスレコーダーのシーン。

なんか泣けました。

号泣とかじゃないよ。
せつない、んでもない。
かなしい?・・・でもない。
ましてや共感なんかじゃない。
なんで泣けたんだろ。
自分の心の中では、表現できる。
でも、文字にできない。


愛ってなんだろ?

おおまかに解釈すると、自分的には、
相手を愛すること。
思いやること。
いたわること。
守ること。
慈しむこと。

相手があってこそ、愛が成立する。
んじゃないかと・・・。

でももちろんその相手ってーのは
男女だけじゃないし、
生き物だけでもないし、
形あるものだけってワケでもないよ。

だからカラダで表現しろ、と言われると、
胸に抱きしめる。
小さいものも、おっきなものでも、
形あるものも、ないものも、
自分の腕の中に抱きしめる。

どんなものからも、守り抜く。


だから、
愛されることと、愛することとは、ちょっと違う。

“愛”ってのは、やっぱ愛すること。

愛されること、は、やっぱちょっと違う。



裁判の争点は、“殺人”か、“嘱託殺人”か?
ってことでしたけど、

もう結論から言わせてもらうと、
まったく共感できんかった。


女性の立場から考えると、
日々むなしい生活を送っていたらなおさら、
一番幸せな瞬間に・・・って思うのはわかる。

だけどそれには、愛がない。
ひとりよがり。
自分の快楽のためだけのもの。

そして、後始末に責任がない。(笑)

はずかしーやん、そんな状態で死ぬなんて。

事故ならいいよ、しょうがないよ。
夫婦間ならね、心臓弱かったり、高血圧だったり~(^_^;)


でも、その後の自分とか、警察の人に見られたくないし。

あ、そんなこと考えられるうちは大丈夫っか~(笑)




いろいろあるさ、人生。


 「ダンナはだませる。
  うそをつくのは簡単。
  でも、子どもをだませるのか?
  子どもの目をまっすぐ見ることができるのか?」


だれでもだませる。 と思う。

子どもの目をまっすぐ見られるのか?と聞かれれば、
「見られる。」と答える。

けど・・・・・

ココロはどんどん崩れていく。 きっと。


実母に言われた言葉ですけど(爆)

すっごい重い言葉です。

きっと一生、忘れることができない言葉です。



愛ってーのは、快楽に変わった瞬間、自己チューになる。
相手なんか、どーでもよくなる。

でも、相手がいないとムリ。
信頼できる相手じゃないと、ムリ。



自分は、殺せるかな?
「殺して。」って頼む愛する人を、殺せるかな?

「願いをかなえてあげたい。」
って理由はありえない。 自分的には。

ひとつだけ、わかる。
“殺す”ということは、究極のひとりじめ。
殺した時点で、自分のものになると思う、錯覚。
永遠に、自分の手の中に、彼の命を握っていると思う、錯覚。

やっぱそれは、錯覚、と、思いたい。


生きていようよ。
また何度も、楽しいこと、キモチいいことしようよ。
って、思う。
単純だな(笑)

ホントの孤独を味わったことがないからかもしれない。

でもさ、
ありきたりだけど、すっごく大事なことは、
娘を愛するんだったら、
自分はどんなに犠牲を払っても、
彼女の人生だけは、守りたい。

あんなに理解ある小学生が、いるわけない。
いるとしたら、あまりにもかわいそすぎる。

自分は、やっぱどんなことがあっても、
彼女の人生は、守りたい。

それと引き換えにできる“愛”なんてない。

ましてや、快楽なんて、あるはずがない。


小説、読んでみよっかな。
文庫本になったら。(笑)

きっと彼女の哀しみが、わかるんだろうな。
理解できるかもしれないけど、共感はしたくない。



あ~、なんで結婚って、契約になっちゃうんだろ。
女性はそれからが女ざかりなのにな。

冷静に、思いとどまることができるうちは、
ホンキじゃないのかもしれないね。

結局さ、“究極の”愛ってーのは、忍ぶものなんじゃない?

結ばれるだけじゃない。
結ばれなくっても変わらない、
みかえりもご褒美も、なにもなくっても、
自分がどんなに苦しくっても、
それを耐え忍ぶことができるくらいの、
相手への想い。

「私は、それでもいい」

って思えること。
じゃないのかな・・・?


人間は、
快楽を求める本能を、
“愛”だ
と、こじつけてるのかも。



あえて“命”をひきあいに出すなら、
自分の命を捧げてもいいって思えるほどのキモチが
愛であって、
相手の命を奪うということは
愛でもなんでもないと思う。
たとえ望まれたことだとしても。


男のひとが書いた究極の愛を
理解できるはずがないよね。



たぶん自分は一生、
愛のことなんて
ひとつもわからないまんまだと思うな。







                おしまい。  22,Mar.2007









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